人気ブログランキング |

続・まりおの部屋

petitmario.exblog.jp
ブログトップ

タグ:思い出話 ( 3 ) タグの人気記事


2008年 02月 01日

2月に想う

久しぶりに夕空を撮ってみました。 18時15分頃です。
e0092286_18203387.jpg


さて、早いですね、もう2月。

で、早いといえば、、、
毎月この月を迎えてモロッコで年月を重ねて来たわけで、つまり、モロッコに細いながらも(?)根を張り始めたのがこの2月という月で、早、、、24年めを迎えます。

いや~~~ 信じられませんね。
自分でもびっくりしてます。 よく続いたなあ・・・・と^^ゞ
もうすぐ四半世紀ではないですか、、、わ、カビが生えてきそう><

こんな中、思い出深い人とのめぐり合いもたくさんあるのですが、こちらに来て一番最初にワタシのメンドウを見てくれたと言ってもいい人の話をしたいと思います。

e0092286_19234897.jpg


それはNさんという女性なんですが、到着した夫の実家の家族のメンバーの中に彼女もいて、一人ずつ握手をしたり、ハグしたりして挨拶をしていった中で、あの彼女の笑顔が忘れられません。
空港で出迎えてくれた夫がどんな様子だったか、どういうわけか覚えてないんですが、あの時の彼女の優しさに満ちた笑顔、、、これは今でもはっきりと思い出せます。

彼女は夫の従姉妹にあたる人で、その時はラバトで仕事のため夫の実家に居候していたのです。週末は地方にある自分の実家に戻る、そんな生活の彼女でした。

その少し前に留学していたロシアから戻ったばかりという彼女、7年もあっちにいたからモロッコは久しぶり、あなたと一緒みたいなものだわ。 なんて冗談も言って私の緊張をほぐしてくれました。

それから彼女が毎日モロッコの生活について、モロッコの女性について、仕事に行っている間は除いてつきっきりでいろいろ教えてくれたのです。

初めてハンマーム(モロッコの公衆浴場)に連れていってもらったのも彼女でしたし、美容院にも連れていってもらったし、、、男である夫が立ち入れない部分で大いに助けてくれたというわけです。

e0092286_19262027.jpg


一番ありがたかったことは、モロッコの女性に関していろいろ教えてくれたことです。
彼女自身は実家も裕福で留学もしてるし、モダンな女性でしたが、伝統的な一般のモロッコの女性がどんな生活を送っているのかとか、いろいろ事細かに教えてくれました。

モロッコの女性が仕事をして自分で稼がない限り、自分のお金を持てないことを教えてくれたのも彼女です。 だから絶対仕事は見つけてね。 結婚しても夫から現金は渡されないのよ。 何か買ってもらうにしても必ず夫同伴で、お金だけは渡してもらえないんだから。

それに仕事をしてないと家にたくさん親戚の人が押しかけて大変よ。
昼間いるとわかると暇なおばさん連中がくるからね。

なんてことも。。。

彼女はそれから三ヶ月くらいして、仕事を自分の実家のある所に変え、その後は彼女の結婚式で会ったくらい。 その後ご主人の仕事の都合で海外に行ってしまったし、5~6年前に偶然カサブランカの夫の親戚の家で会ったという感じで疎遠になってしまいましたが、その時も彼女の笑顔は変っていなかったので嬉しかったのを覚えています。

e0092286_1945196.jpg


とまあ、こんな感じで、とにかく何が何だかわからずモロッコでの生活に不安だらけだったワタシに一筋の光を与えてくれた彼女には今でも感謝してもしきれないくらいの気持ちです。

又会える日がくれば、今度はワタシが何かしてあげられるだろうか。
少なくとも、ワタシが今あるのは最初に彼女がいてくれたおかげ、ということを伝えられたらいいなあ。

==== 今日の画像は一枚目を除いて、フォトショップでレタッチしてあります ===

by nmariomama | 2008-02-01 19:29 | 徒然何でも在り記 | Trackback | Comments(22)
2007年 10月 29日

一枚の画

この間日本画展に行ったからというわけではありませんが、今日は一枚の画にまつわる想い出話をひとつ。

気がつけば、殺風景な我家の居間にも画が飾ってあったのですよね。

e0092286_20234071.jpg


もう大昔になってしまいますが、フランス語の勉強と称して、ほんのちょっとだけパリにいた時に知り合ったフランス人の女性が、結婚のお祝いにパリの想い出としてモロッコまで送ってくれたものです。

画用紙にパリのノートルダム寺院が水彩画でさらっと描いてあるだけなんですが、とても気に入って、ずーっと居間に飾ってあります。

彼女はひょっとすると、当時、今の私くらいの年だったかもしれないと思います。
実際は、私の日本人の友人、その彼女の友人のお母さんだったのです。

フランス人の友達の家に誘われたから、一緒にどう?と言われてのこのこついていったのですが、なぜか、このお母さんに私はとても気に入られてしまいました。

彼女は画を描く人、いわゆる芸術家肌の人でした。
ちょっと変わってるといえば変わった人で、世間に疎く家事もほとんどしないという話。
実際、遊びに行って食事も一緒ということになると、娘かだんなさんが台所に立っていましたから。

ほとんど出かけることもなく、画の用事でたまにパリに出るくらいらしく、暑さと歩くこと、そして人ごみは大嫌いと言っていましたっけ。

彼女との一番の想い出は、彼女がデッサンで私を描きたいと言ったので、ある時彼女のアトリエに初めて入らせてもらった時のことです。

季節は春。 

アトリエは時間が止まったかのような静寂に包まれ、窓の外のプラムの花の花びらの散る音さえ聞こえてきそうでした。

実際、この時の窓の外の風景は忘れられません。
少し向こうを向いて、という彼女のリクエストに応えた視線の先は庭に果樹の花が咲き乱れていました。

郊外電車で小一時間揺られた所にあるその家は、小人の隠れ家のように可愛らしく、私を魅了したのです。

彼女は私がパリの街が好き!と言ったので、ノートルダムを描いてくれたのだと思いますが、本当はあの可愛らしい庭を含めた彼女の家の画も欲しかったなあ、、、と今でもふと心に思います。

彼女とはモロッコに来てからも文通をしてましたが、子育てに忙しかったりの中、いつの間にか断ち切れてしまいました。。。

もうおばあさんになってしまった彼女でしょうが、赤が大好きと言っていたから、赤いジャケットを羽織って庭でスケッチをしている彼女の姿が浮かびます。
元気だといいなあ。。。

by nmariomama | 2007-10-29 21:18 | 想い出の一枚 | Trackback | Comments(16)
2007年 06月 25日

思い出話

フローラの首輪が見つかった同じ引き出しの中から、写真が一枚出てきました。
アルバムに貼り忘れてたのか、懐かしい、息子が小学校の時の写真。
多分一年生の冬、、、だろうと思われる時期の思い出の一枚ですね。

まだ低学年のうちは子供の足で家から20分ほどの所でしたから、送り迎えをしていました。
その迎えの時のついで、教室から出てきた所で写したもの。
真ん中が息子です。 当時は軽い斜視ということで矯正のめがねをかけていたんでしたっけ。

e0092286_222362.jpg


息子が通ったのは、モロッコの私立の幼稚園からある小学校。 
うちの様なハーフのお子さんの多くの親御さんは、たいていフレンチスクールに行かせたがります。 子供の将来をモロッコに見ていない方が多い。
それは、モロッコの教育のレベルの低さを憂慮してのこと。
又は、他のモロッコ人の子供たちとうまくやれるかどうか、、、

我家もいろいろ考えました。
フレンチは、まずはお金がかかることもありましたが、もし、幼稚園から高校まで子供をそこに送り込んだらどういうことになるか。 
フレンチスクールは小さいながらも完全にフランスの世界です。 親の片方がフレンチならばそれでいいかもしれませんが、うちはそうではありません。
日本のことはさておいて、父親の母国であるモロッコにいて、フレンチスクールに行く?
これってどうなんだろう、日本もモロッコも知らない子供、、、に育ってしまうという危惧のほうが私の頭を掠めました。
しっかり、モロッコの学校に行かせて、そして、それから自分で選ばせて外に出たらいいじゃないか。 まあ、其の過程でうまく行かなければ其の時点で考えよう。
結局はいつもどおり、暢気な考えに落ち着いたと言えなくもなかったのですが・・・

公立の小学校は確かに問題がありそうでした。 まずは夫がそう言ったし、誰に相談しても小学校の公立はやめたほうがいいと。 それで、うちから一番近い、歩いていける距離の私立の幼稚園からある小学校を選んだわけです。 (注・・・幼稚園に公立はありません。)

第二に、他のモロッコ人の子供たちとうまくやっていけるか、という問題。
これも確かに危惧されることでした。 モロッコの学校にもイジメはあります。
といっても今の日本の曲がりに曲がったひねくれイジメではなく、もうちょっと素朴な(?)、日本も昔はこんなだったよね、という感じのもの。

それに加えてですが、こちらでは、アジア人は珍しいこともあり、まあ、侮蔑の意味合いも含めて、シノワ(フランス語で中国人)と呼ばれます。 排他的な呼び方とも言えるでしょうか。
このことで、他のお子さんで登校拒否までになったお子さんもいらっしゃるし、軽んじることはできない問題で私も神経を尖らしました。

案の定、私が送り迎えで学校に姿を見せると、あちこちの子供の間から、シノワ、シノワという言葉がもれ聞こえてきました。 うーん、やっぱりまずいか!

でも、幸いに幼稚園の最初のクラスの担任の先生がとても気にかけてくださって、ある日、少し早めに迎えに行ってしまった時、私を教室まで入れてくれたのです。
そして、私が○○ちゃんのおかあさんで日本人であること、おとうさんがモロッコ人であること。 たったこれだけのことを子供たちの告げただけだったんですが、一人の女の子が席を立って私の所に走り寄ってきて抱きついてきたんです。 びっくりしてる暇もなく、其の後ダーッと他の子も来て、、、^^
それから、私が送り迎えに行くと、息子のクラスの子はみんな挨拶してくれるようになり、気がついてみると、シノワという耳障りな音は聞こえなくなっていました。

ですので、その担任の先生に今でも深く感謝です。 ああして、積極的に懐に飛び込ませてくれたから、垣根が取れたんだなあ、、、としみじみ思いました。

その後、同じ学校の小学校に進みましたが、息子はたくさんの友人もでき問題なく無事卒業できたという次第です。

この経験は大きいでしょうね。
息子は其の後ずーっとしつこく、教育はモロッコ路線を辿りましたが、今は何とか仕事もうまく行っているようで青春を謳歌しているようです。

でも、後で大きくなってからですが、
「ねえねえ、本当にシノワって苛められたことなかった?」
と聞いたら、
「うん、あったよ。 でも、気にしなかったから別にどうってことなかった。」
という答えだったので、親の私がどうとかという問題ではなく、息子の器が母が案ずるより大きかったということか、、、と何やらおかしく思えたことも事実です。

一枚の昔の写真から、随分長い話になってしまいました。
最後まで呼んでくださった方、どうもありがとうございました^^>

e0092286_23111848.gif


by nmariomama | 2007-06-25 23:13 | 想い出の一枚 | Trackback | Comments(26)